ここに掲載の写真は、平成26年8月11日に磐座内の清掃を終えた後に撮影したものです。
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T【磐座内部から本殿を撮影】
U【磐座外周から撮影 其の1】時計周りの方向に、西面から北面
左端の写真に見られる磐座の中で一番大きい岩を、霊岩(タマイワ)または勾玉岩(マガタマイワ)と呼ぶ。
霊岩の上部、中央左部分にある砲弾の形をした石を、霊石(タマイシ)と呼ぶ。
古くから「有る」と言われていたもので、今から約20数年前に、磐座の内部の枯れ松や雑木を伐採した折に
深い落ち葉の中から見つかる。古くは数メートルの長さがあり、磐座の中心に立っていたと言われる。
風化が進み、現在は約50pほどの長さである。
言い伝えでは「宇宙からのエネルギーを受け止める石」らしい。
V【磐座外周から撮影 其の2】時計回りの方向に、北面から東面
右端の写真の如く、掃除が終わり写真を撮ると、必ず青い光が映り込む。
W【特徴ある3つの場所】
@『八岐のウバメガシ』 |
A『方位岩』 |
B『神の室屋』 |
@ 磐座の中に生える御神木。
木が小さい時に、白蛇がいつも木の上に乗っていたので、根元から複数に枝分かれしたと言われている。
A 神様がお出かけの際、方向を見定める岩と言われている。東西の方向にきちんと割れている。
この写真は、磐座内で、真上から撮影したもの。
(Vの真ん中の写真 左上にある石が真横から見たもの)
B 神様がお休みになられる処と言われている。
大きい岩に囲まれ、ひとつの空間が出来ており、磐座の中で一番、磁場が高いところ。
【磐座(いわくら) 磐境(いわさか) 神籬(ひもろぎ)とは・・・】
古代の人たちは、森羅万象すべてに神の存在を感じていました。万物には様々な神が宿ると信じ、その神の力を頂戴することにより、日々を暮していたのです(自然崇拝・精霊崇拝・アニミズム)。そして、暮らしの中の折々に、神を招き、その折の感謝と祈りを捧げる祭祀を行っていました。その祭祀の時、神々が
降臨される
依り代になったものが、磐座・磐境・神籬なのです。神々は、祭祀の毎に降臨され、祭祀が終われば昇天されました。
神聖とされる巨岩や巨石、或いは、大木、森、山、滝、海、島等々を依り代として、神々が降臨されたのですが、こうした磐座・磐境・神籬が現在の神社の原形と言われています。時代と共に、常に神々が鎮座する社殿(神社)が常設されるに従って、信仰の対象が自然(精霊)から神社に移っていったようです。
「日本書記」巻二 神代下 第二の一書に「神籬磐境の神勅(ひもろぎいわさかのしんちょく)」があります。
高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)、よりて勅(みことのり)して曰(のたま)はく、吾(あれ)は則ち天津神籬(あまつひもろぎ)及(また)天津磐境(あまついはさか)を起樹(た)てて、當(まさ)に吾孫(すめみま)の爲(みため)に齋(いは)ひ奉らむ。汝(いまし)、天兒屋命(あめのこやねのみこと)・太玉命(ふとたまのみこと)、宜しく天津神籬を持(たも)ちて、葦原中國(あしはらのなかつくに)に降(くだ)りて、亦吾孫(またすめみま)の爲(みため)に齋(いは)ひ奉(まつ)れと。
これを簡単に訳せば 『高皇産霊神(ニニギノミコトの祖父にあたる神様)はこうおっしゃいました。「私は、高天原で天津神籬(あまつひもろぎ)と天津磐境(あまついはさか)を起てて祭祀を行うから、天児屋命(こやねのみこと)と太玉命(ふとたまのみこと)も、神籬を持って地上に一緒に降って貰ってよろしく皇孫の為に祭祀を行ってくれ」』
これは、古代においても磐座磐境祭祀と神籬祭祀が既にあったことを語っていると思います。
現在では、榊や常緑樹等に麻と紙垂(しで)を取り付けた神の依り代を神籬と言います。また、磐座は岩石単体、磐境を岩石を組み合わせたもの、と区別する方もいらっしゃいますが、原則的には同じものと思っても良いと思います。
ここに記した記述は、私(宮司)の考えであり、違う見方をされる方もいらっしゃる事を付け加えさせていただきます